今日は、電車で京都まで出かけてきました。
近鉄と京阪を乗り継ぎ京阪三条駅まで。地上に出て鴨川にかかる橋を渡って・・・
いつも車で通り過ぎるだけの京都です。同じ古都といっても、奈良とは全く違う、古都の情緒の中を少しだけですが歩いてきました。
復元された高瀬舟が置かれていた「一之船入」
慶長15年(1610年)、方広寺大仏殿の再建において、角倉了以・素庵父子は鴨川を利用して資材運搬を行った。 その後慶長19年(1614年)に、父子によって、京都・伏見間の恒久的な運河が開鑿された。これが高瀬川である。
水深は数十cm程度と浅く、物流には底が平らで喫水の低い高瀬舟と呼ばれる小舟が用いられた。 二条から四条にかけては、荷物の上げ下ろしや船の方向転換をするための「船入」が高瀬川から西側に直角に突き出すように作られた(現在は、史跡指定されている「一之船入」を除き、すべて埋め立てられている)。 ・・・Wikipwdiaから引用
そのすぐそば造られた角倉了以の別邸が、山県有朋などいろいろな人の所有をへて、現在は「がんこ二条苑」というお食事どころとなっていて、そこでお昼を頂いてきました。
高瀬川の水を取り込んだお庭です。ここを生活の場として暮らしていた人々の思いを思いはかりながら散策してきました。・・・中ではカルガモやアオジがくつろいで?いました。
京阪四条駅に行く時に高瀬川を横切ろうとすると、川の中にマガモがいました。
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京都はいいですね。古都の情緒の中を歩かれて、ゆったりした時間をお過ごしされたのですね。
返信削除お食事が、羨ましいです(笑)
かつては物資を輸送する高瀬舟が賑やかに行き来していたのですね。
今では運河は、ほとんど埋め立てられてしまったのですか。昔の面影がなくなるのは寂しいですね。名残の高瀬舟、趣がありますね。
↓の奈良公園へは修学旅行と勤めてからも研修で何度か訪れました。シカせんべいを買って、シカにあげたことを思い出しました(^^) 静かな佇まいが落ち着きますね。
こんばんは~
返信削除車が出現する前は、こういった舟が重要な物流を
担ってたんでしょうね(@。@”
京都はすてきなところですね^^
kogamoさんへ
返信削除地域を活性化するために先人が残した遺跡。
困難な状況を切り開いていく人の営み・・・この運河の史跡を見ながらも、やはり、この震災からの復興の願いが頭をよぎりました。
京都と比べると、改めて、奈良は田舎だなあと・・・・
その田舎加減が大好きですけど。
Angelさんへ
返信削除京都と大阪をつなぐ大動脈になったんですね。
この場所にも、ボランティアらしいガイドさんが立っておられ、説明しましょうかと、声をかけていただきました。
歩いたのはせまい範囲でしたが、ちょっとした路地にも、「あ〜京都」という思いをさせてもらいました。