2011年3月28日月曜日

角倉了以別邸跡

今日は、電車で京都まで出かけてきました。
近鉄と京阪を乗り継ぎ京阪三条駅まで。地上に出て鴨川にかかる橋を渡って・・・
いつも車で通り過ぎるだけの京都です。同じ古都といっても、奈良とは全く違う、古都の情緒の中を少しだけですが歩いてきました。

復元された高瀬舟が置かれていた「一之船入」

高瀬川(たかせがわ)は、江戸時代初期(1611年)に角倉了以素庵父子によって、京都の中心部と伏見を結ぶために物流用に開削された運河である[1]



慶長15年(1610年)、方広寺大仏殿の再建において、角倉了以素庵父子は鴨川を利用して資材運搬を行った。 その後慶長19年(1614年)に、父子によって、京都・伏見間の恒久的な運河が開鑿された。これが高瀬川である。

水深は数十cm程度と浅く、物流には底が平らで喫水の低い高瀬舟と呼ばれる小舟が用いられた。 二条から四条にかけては、荷物の上げ下ろしや船の方向転換をするための「船入」が高瀬川から西側に直角に突き出すように作られた(現在は、史跡指定されている一之船入を除き、すべて埋め立てられている)。 ・・・Wikipwdiaから引用


そのすぐそば造られた角倉了以の別邸が、山県有朋などいろいろな人の所有をへて、現在は「がんこ二条苑」というお食事どころとなっていて、そこでお昼を頂いてきました。


高瀬川の水を取り込んだお庭です。ここを生活の場として暮らしていた人々の思いを思いはかりながら散策してきました。・・・中ではカルガモやアオジがくつろいで?いました。



 昼食後、少し歩いた後、レトロな雰囲気の喫茶店に入りました。一緒に行った友人が学生のころ(つまり?十年前)に通ったお店とのこと。昔のままだそうです。出入りするお客さんも昔の女学生さん(つまり同年代らしい)らしい人が多かったです。もちろん若い人も。
京阪四条駅に行く時に高瀬川を横切ろうとすると、川の中にマガモがいました。


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4 件のコメント:

  1. 京都はいいですね。古都の情緒の中を歩かれて、ゆったりした時間をお過ごしされたのですね。
    お食事が、羨ましいです(笑)
    かつては物資を輸送する高瀬舟が賑やかに行き来していたのですね。
    今では運河は、ほとんど埋め立てられてしまったのですか。昔の面影がなくなるのは寂しいですね。名残の高瀬舟、趣がありますね。

    ↓の奈良公園へは修学旅行と勤めてからも研修で何度か訪れました。シカせんべいを買って、シカにあげたことを思い出しました(^^) 静かな佇まいが落ち着きますね。

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  2. こんばんは~
    車が出現する前は、こういった舟が重要な物流を
    担ってたんでしょうね(@。@”
    京都はすてきなところですね^^

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  3. kogamoさんへ
    地域を活性化するために先人が残した遺跡。
    困難な状況を切り開いていく人の営み・・・この運河の史跡を見ながらも、やはり、この震災からの復興の願いが頭をよぎりました。

    京都と比べると、改めて、奈良は田舎だなあと・・・・
    その田舎加減が大好きですけど。

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  4. Angelさんへ
    京都と大阪をつなぐ大動脈になったんですね。
    この場所にも、ボランティアらしいガイドさんが立っておられ、説明しましょうかと、声をかけていただきました。
    歩いたのはせまい範囲でしたが、ちょっとした路地にも、「あ〜京都」という思いをさせてもらいました。

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