2011年10月31日月曜日

秋色オオムラサキ、越冬用お布団部屋。

ついこの間の暑さがウソのように、手のひらを返したのように秋に突入してしまいました。
エノキの木の葉も枯れづいてきて、オオムラサキの幼虫の色も変わり始めました。



枯れ葉への変身は見事というしかありません。自分が付いている葉の色をどのようにして認識しているのかと思います。



完全に枯れてしまった葉っぱに付いている子は、完全に枯れ葉色。越冬幼虫色になっていました。



これは、一個体の移り変わりではなく、今日、小屋の中で撮ってきた写真です。実は小屋の中のエノキはひん死の状態。冬が来る(幼虫が餌を必要としなくなる)のが先か、葉っぱがなくなるのが先かというところです。


写真では入っていませんが、まだ緑の葉の付いている枝も残っています。込み合っている所は一匹づつ緑の葉っぱに移動させているので、この写真ほど、幼虫が込み合っている枝は他にありません。

ただ、幼稚園や小学校のエノキにに移した幼虫を先日チェックに行くと、300匹移したはずなのに気配が少なく、思いっきりお腹を膨らませたカマキリを見つけてしまいました。身近にないと管理不行き届きになってしまいます。


先日、エノキの足元に、越冬用お布団部屋を作りました。
オオムラサキの幼虫は、エノキの葉が皆落葉すると、木の足元に下りてきて、枯れ葉のお布団の中に入り込んで寒い冬を乗り越えます。

葉っぱはほとんど食べ尽くされたので、どこかで枯れ葉を調達してこないといけません。木の足元に葉っぱを入れ込むと、冬の準備完了です。


で、おまけですが・・・・これはゴマダラチョウの幼虫。

 小屋の中になぜか一匹だけいます。この時期(春先までですが)、オオムラサキより大きく、一足早く脱皮していって成蝶となります。
左がオオムラサキ、右がゴマダラチョウ。




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2011年10月30日日曜日

小児病棟のハロウィン

10月28日に、入院生活における患児や家族のQOL(quality of life)の向上のためにと、看護士さんたちが小児病棟で取り組まれているレクレーションの一つの「ハロウィン」がありました。

始まりの30分前にプレイルームに行くと、部屋の前には楽しい飾り付けがありました。午前中の院内学級小学部の学習室は、既に、楽しいハロウィンの空間に変身していました。





箱の中に入り、部屋に入ってくる人を驚かすのだと、待機していたS君。たくさんの人にびっくりしてもらって、「人間びっくり箱」作戦は大成功でした。(私はプレールームの入り口に立ち、廊下をやってくる人のお知らせ役をして、楽しませてもらいました。)


プログラム2番の「かみしばい&マジック」のパッチンコさん。(了解を得て写真を撮らせていただきました)

軽快なおしゃべりのキャッチボールをしながら、子供たちの楽しそうな声が響いていました。


次はプログラム3番、「ハロウィンバッグつくり」。
看護士さんたちが、子供たち一人一人に、バッグ作りの材料の入った袋を配って下さいました。看護士さんの楽しく優しく軽快な作り方の説明をを聞きながら、子供たちの袋が出来上がっていきました。(私は、片手に包帯=ギブス?を巻いた子が糊を付ける時に紙を押さえるのを、ちょっとだけお手伝いしてきました)


幼い子には優しく手を取りながら、マイペースでつくれる子には簡単なアドバイスを送りながら、一人一人に合わせた楽しい袋釣りの時間でした。

忙しいお仕事の合間を縫っての事前準備、レクレーション中にも患児の状態を把握しながらの取り組み、看護士さんたちの子供たちへの素敵なプレゼントのひとときでした。


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2011年10月29日土曜日

熊野古道を歩く⑨(JR紀伊駅〜川辺橋〜和歌山電鐵伊太祁曽駅)その3

続きです。今回は、JR紀伊駅〜和歌山電鐵伊太祁曽駅まで行程14.3kmを、約28500歩で歩いてきました。
町や村の集落の中を歩く、比較的平坦なコースでしたが、最後に標高90mの矢田峠越えがありました。

峠の入り口。右に進むと熊野古道ですが、左手の先の方にトンネルが。江戸時代の銅の鉱山跡だそうです。今はコンクリートで整備され、何かのときにはこのトンネルを通って向こう側に出られるようになっているとのことでした。

 矢田峠を登る途中、眼下に広がる紀の川辺りの町並み。

可愛い花を見つけましたが、名前が分りません。ご存知の方教えて下さい。
ホシアサガオと教えていただきました。



帰りの最寄りの駅は、和歌山電鐵伊太祁曽駅。和歌電は、「たま駅長」で有名です。会えるかなと楽しみにしていたのですが、こんな張り紙がありました。残念! 次回はこの駅から歩き始めるのですが、可能性は・・

 でも、こんな楽しい電車が止まっていました。おもちゃ電車と名付けられ、床も楽しそうでした。


私たちが乗ったのは、この向かい側にやってきた電車でした。

この回も、快晴に恵まれ、暖かい日射しを楽しみながら、快適な熊野歩きをおえることができました。毎回のことですが、この歩きで巡ってきたたくさんの王子や遺跡、いっぱい聞かせていただいたお話の中の、ごく一部の紹介になってしまいました。今回も、充実した素敵な時間を過ごし、とってもいい汗かいてきました。お世話いただいた方々に感謝です。


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熊野古道を歩く⑨(JR紀伊駅〜川辺橋〜和歌山電鐵伊太祁曽駅)その2

10月26日の熊野古道歩きの続きです。 ほしや(布施屋)駅近くでお弁当を食べた跡、川底を埋め尽くすばかりの鯉が泳ぐ宮井川にそって、古い家並みが多く続く道を歩きました。
住宅の主屋のほか土蔵、門長屋、土塀の4件が国の平成21年に登録有形文化財建造物に指定された長多家。 近くにある旧中筋家に次ぐ地位にあった庄屋さんの跡とのことです。
そこから少し歩いた所に会ったのが旧中筋家住宅。近隣の庄屋を束ねる大庄屋の住まい。建物は江戸末期に建てられたもので、国指定重要文化財となっています。平成12年から、9億4000万円をかけて行われた修復が終わり、22年8月から一般公開が始まったということです。観覧は事前申し込みによって随時可能ということですが、今回は申し込みをしていなかったので中には入れませんでしたが・・・
塀に沿ってぐる〜っと回って行くと・・・
やっと表門が見えてきました。初めの写真で塀の右の方に見えるのは北向きの「御成門」。
敷地は2200㎡、土塀に囲まれ、屋敷地の東側と南側は水路が巡らされています。
名字帯刀を許された豪農の当時の財力と権威を示す歴史資料として貴重な文化財ということです。
そこから少しいった所には、中筋家の分家がありました。鬼瓦の家紋に金箔が。
「丸に蔦」の紋です。 蔦は、八代将軍吉宗が出た紀州徳川家が替紋として蔦を用いたことから、権威のある家紋として認知され普及したそうです。長くなるので、ここで一区切り。このページの歴史的な説明の多くは、古道歩きの世話をしていただいているNさんから頂いた資料から引用させていただきました。続きは・・・

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2011年10月28日金曜日

熊野街道を歩く⑨(JR紀伊駅〜川辺橋〜和歌山電鐵伊太祁曽駅)その1

前回は大阪側から和泉山脈を越えて和歌山に入りました。今回は和歌山県の紀伊駅から歩きました。 初めに教えてもらったのが足元の導き石。熊野古道の道々に点在していました。

和歌山市内の熊野古道は、曲がり角が多くて、うっかりしていて迷子になってはいけないと、要所要所の路面に埋め込まれています。この導き石を目にすると、「ああ、和歌山県に入った」と実感できるものとのことでした。曲がり角などの、曲がり初めと曲がったところに敷いてあって、これを探すのもちょっと楽しいものでした。
今回一番始めに説明していただいた川辺王子跡。しかし、川辺王子の跡はここだけではありません。紀川の氾濫で、王子社が遷座を繰り返したり、参詣道が変わったりしたためとのことでした。
力侍(りきし)神社。天岩戸を開けた天手力男命(アメノタジカラノミコト)を祭神とする神社です。ここも、川辺王子跡として県指定を受けています。

この石を持ち上げると何かいいことがあるということです。一応持ち上げることが出来ました。

大阪と和歌山を結ぶ要所が川辺の渡し。私たちが渡ったのはおよそ750mという川辺橋。川を見晴らしながら橋を渡りました。案内していただいた先生の話では、「この橋を何回通っても、毎回見える中州の形がかわっている」とのことでした。川の土手も今のようには高くなかった昔の熊野詣でがいかに難しかったを思いながら橋を渡りました。

今回歩いていて、地名の読み方の面白さを痛感しました。 この王子跡は「吐前」と書いて「はんざき」と読みます。

この布施屋駅は、「ほしや」と読むと聞いてびっくり。

このページは取りあえずここまで。残りは次のページにて・・・・

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