2011年9月29日木曜日

熊野古道を歩く⑧(山中渓駅〜馬目王子〜遍照寺)

今回歩く予定だった熊野古道の中辺路ルートは過日の台風で寸断され、当面、熊野三山への入山は困難となりました。それで、今回は、紀伊路ルートの大阪側からのコースを辿ることになりました。

電車を降りたのはJR山中渓駅。この辺りは、たくさんの観光客でにぎわう温泉地だったそうです。昔は5つの温泉施設があったようですが、鉄道が整備されてくると、他のリゾート地へ客が離れていき、今ではもう一つも営業されていないようです。

駅から少し後戻りし、紀州街道碑から始まる石畳の道を歩いていくと、歴史的な景観の町並みが続きました。この街道、一つの道なのに、紀州街道、熊野街道、小栗街道と、3つの名前をもっていると教わりました。
・平安時代に脚光を浴び始めた熊野詣での道としての熊野街道
・15世紀の伝説で、小栗判官が湯の峰温泉までをたどったことから付けられた小栗街道
・江戸時代の参勤交代で使われた紀州街道
(それぞれ、時代のうつりかわりで、微妙に道がずれてはいるのですが)
「小栗街道」、どこかで聞いたことがあると思ったら、昔住んでいた大阪和泉市の町を通っている街道の呼び方でした。
少し歩いた所にあったのは、江戸時代中期建立、築300年という旧庄屋屋敷
馬目王子。阪南市にあり、大阪府最後の王子です。地元では足神さんとして親しまれているとのこと。
「足に不安のある人は特にお参りを」といわれたのに、お参りしようとしたその矢先に「この蝶は何」と尋ねられ、そちらに気を向けてしまって、お参りし損ねてしまいました。膝が痛くて、本日の古道歩きが不安だったのに、お参りし損ねてよけい不安になりながらの歩きになりました。
軒下をこんなに可愛く飾っているお家もありました。
道祖神(塞の神)。紀州藩から大阪側へ追放される罪人が宿場に入って悪事を働くことを恐れ、この地に道祖神が祀られたのだろうと、パンフレットに書かれていました。
この後、カメラの不具合が決定的となり、写真が撮れなくなってしまいました。
最後の方で立ち寄った遍照寺で、「怒った顔の小野小町像」を、携帯で撮ってきました。
住職さんのお話では、同じような像が全国あちこちにあり、辻で勧進話をして仏教の布教をして回るときに、この像を天秤棒で担いでいって使ったもので、小野小町ではないと思うとのことでした。怖い顔して片膝を立て、あばら骨の胸にいかにも老女というおっぱいを垂らした像でした。
毎回のことですが、この歩きで巡ってきたたくさんの王子や遺跡、いっぱい聞かせていただいたお話の中の、ごく一部の紹介になってしまいました。今回も、充実した素敵な時間を過ごし、とってもいい汗かいてきました。お世話いただいた方々に感謝です。
心配した膝の痛みは出て来ませんでした。お参りし損ねても、馬目王子さんが守って下さったようです。ありがとうございました。今回の歩きは、約11km、22000歩でした。
和歌山、三重、奈良の台風に被災された方々に、心からお見舞い申し上げます。一日も早く復興が成りますようお祈り申し上げます。

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