3月は、震災への思いから控えるということになりましたが、4月から再び歩くことになりました。
(写真の上でクリックしていただくと拡大します)
今回歩き始めた切目という地名は、海水域と川水域との切れ目(変り目)から来ているとか(諸説ある中で、一番分りやすい・・・)。橋の向こうはもう海です。今回の地震のことを思うと、本当に申し訳程度の堤防が築いてありました。
和歌山県には、南部梅林という日本一の規模を誇る梅林があり、梅の名所です。
今はもう花も終わり、収穫を待つ梅の実が、古道歩きの目を楽しませてくれました。
正に鈴なりという表現がぴったりの梅の木も。
梅は雌雄異株。梅を実らせるために植えてあるのは雌株だけ。そのため、受粉用の雄株を、一時的に置くのだそうです。
切目中山王子の手前まで坂道を一気に上がってくると、目の前に和歌山の青い海が一望できるはずでした。今日はあいにくの日和で、白波立つ海が少しかすんだ中に見えました。
中山王子
「足の宮さん」として言い伝えられ、足の病気に霊験あらたかな神としてあがめられているそうです。
岩代の結び松
643年に、とらわれの身となった有馬皇子が護送される途中、行く末の無事を祈り、この辺りの松の枝を引き結んで歌を詠んだという故事のある場所。
この後、岩代王子辺りまではよかったのですが、お昼前から雨が降り始めました。昼食は無人の岩代駅の待合室で食べることになりました。
ここから本来なら海岸沿いに千里王子まで歩くはずでしたが、バスを使ってショートカットすることに。
千里観音
小栗判官の話をはじめ、荒れ狂う海の中から現れた白馬が遭難した人を救ったという話がいくつか残されている観音堂です。
正午前から降り始めた雨は、このとき滝のような大雨に。
この観音堂から千里の浜に下りていく道。三十三体の石仏が並んでいます。
その先に広がっている砂浜は「さざれ石」が拾えることで有名だそうですが、あいにくの大雨で・・・
天気がよければ砂浜沿いの古道歩きとなるはずだったのですが、本日は変更となりました。
花山法皇の枕石
花山法皇は、天皇在位2年足らずで無理に譲位させられたことで悩んで熊野参詣され、この千里王子社に来たときに体調をくずし、そのときに詠まれた歌の歌碑があります。
南部峠の「骨つぎ地蔵」
この後、雨の中、峠を下っていき、紀州梅干館まで行って、今日の歩きは終了となりました。
毎回の言い訳ですが、たくさんの話を聞き、たくさんの見所を見てきたのですが、容量を押さえるため、一部分だけの紹介となりました。
途中で出会った花々は続きで・・・。
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