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2012年4月7日土曜日

熊野古道を歩く⑪その4ー補陀落山寺〜大門坂〜那智大社〜青岸渡寺

熊野古道の最終章。3月28日の午後の分です。
浮き島の森を後にして昼食を取り、その後、バスで浜の宮王子跡へ。そして補陀落山寺へ。

補陀洛山寺には、渡海船を復元したものがおかれていました。中世から近世にかけておよそ25人の高僧が、南方にあるとされる観音浄土を目指したようです。板戸で四方を囲い、何日分かの食料を入れ、外から釘で打ち付けて流されたとのこです。


そこから大門坂までバスで送ってもらい、最後の熊野古道らしい道をがんばりました。

歴史を感じる石段と、杉の巨木がどこまでも続きます。

那智大社。

この那智大社も、裏山が崩れ、境内の中が土砂で埋まってしまったそうです。
石段を越えて朱塗りの柱の所までたまった土砂、瓦礫を、ボランティアの人たちで取り除き、元の姿を取り戻したとのことでした。

 ここから青岸渡寺〜那智の大滝への道々、目を楽しませてくれたのがミツマタの花。大きな株がたくさん植えてあり、柔らかいクリーム色が一帯に広がって心が和みました。


バスの中で、ガイドをして頂いた方からお土産をいただきました。デコポンと同じ形をしていますが、これは三宝柑。持ち帰って、甘くて美味しくいただきました。


今回で熊野古道は終わりとなりました。毎回の旅を計画して頂いた方、ガイドのお世話をして頂いた方、本当にありがとうございました。この歩きで親しくなれたたくさんの方々、これからも親しくおつきあい出来るようにと願っています。よろしくお願いします。
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2012年4月1日日曜日

熊野古道を歩く⑪その3ー湯の峯温泉〜神倉神社〜浮き島

熊野古道歩きの続きです。
湯の峰温泉といえば、実在の人ではありませんが小栗判官。
地獄から戻された小栗判官が入って無事元気な体になったという温泉(つぼ湯)です。二人しか入れず、30分で交代して入ります。入り口のベンチに座って待っている人がいました。

つぼ湯から少し下ったところの桜は丁度満開。見事でした。

 つぼ湯の直ぐ下には東光寺があり、その前に「玄峰塔」の石碑が。山本玄峰とは、終戦時にラジオから流された「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び・・・」という一説を奏上した人物で、有名な書家でもあります。
その石碑の奥には、湯の峰温泉の公衆浴場があります。


湯の峰温泉の「よしのや」で泊まり。源泉92度の露天風呂を、水道水を入れながら必死でかき回し、なんとか入ったのが楽しい思い出となりました。

翌日は、バスで先ず神倉神社へ。熊野の神様が、最初に、ここのゴトビキ岩に君臨されたとされています。ここから速玉大社へ移されたので、新宮という地名が誕生したとのことです。
鳥居から直ぐ、強烈な急坂の石段を上っていきます。

手を伸ばすとすぐに石に手がつきそうな強烈な石段が続きますが、石の切れ目に顔をのぞかせるキランソウやスミレを撮るのを口実に休憩を入れました。
キランソウ(地獄の釜の蓋)
 シハイスミレ?
 ニョイスミレ?

神倉神社は
大きな岩の間に投げ入れたかのように建てられていました。しめ縄を巻いた大きな石がゴトビキ岩です。


次に行ったのが熊野速玉大社。
西暦907年〜1303年の約400年間に、上皇、女院、親王合せて23万回を越える御参詣があり、これを熊野御幸と言うそうです。白河天皇の御幸には、総勢814人が同行し、1日のしょくりょうが16石以上というのにはびっくりしました。35回も御幸した上皇もいたようです。
ここでは、今季初見のヤマブキが咲いていました。

この後行ったのが、浮き島の森。植物の遺骸の堆積物から出来ており、昔は強風が吹くと島が移動するので、総出でロープで固定したりしたそうですが、今は周囲の埋め立てが進み、動くことはなくなったようです。水の出入りがなくなり植物に影響が出てきたため、外部から綺麗な水を入れこむ対策を取られているとのことでした。
中には寒地性と暖地性の植物130種類が混在しているとのです。

長くなるので、ここで一息。続きはまた後日・・・


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2012年3月31日土曜日

熊野古道を歩く⑪その2ー発心門王子〜熊野本宮大社〜湯の峯温泉

今回の歩きは、バスで送ってもらい、発心門王子から始まりました。
この道標から道を挟んだ反対側に、ここに上がってくる古道が林の中に続いているのですが、まだ復旧されていなくて、中抜きでここから始めるとのことでした。

林の中の道をしばらく歩き、集落のある所へ出ると、「お迎え人形」が迎えてくれて疲れも和らぎます。

そこからさらに進んで、再度山中の道。ガイドさんお薦めの美しい杉林。木漏れ日が入っていい感じでした。

林の道を抜けると目の前に現れたのは「果無山脈」。奈良県と和歌山県の県境に連なる連山。


さらに進んで、伏拝王子の石碑のある所からの眺望。その石碑の隣に和泉式部の供養塔があります。
和泉式部がここまで来た時生理が始まり、参拝出来ないと、遥か向こうに見える本宮大社を見ながら嘆いたというエピソードの場所です。熊野権現が夢に現れ、「信不信を問わず、貴賤を問わず、女人の不浄を問わない」と語り、和泉式部は本宮を伏し拝んで参詣に向かったということになっています。
遥か向こう、山が開けた所に白く見えるのが、昔、本宮大社があった大斎原(おおゆのはら)辺り。


心地良い日射しの中、杉や檜の林の古道を軽く上り下りしながら本宮大社へ向かいました。
熊野古道は、世界遺産に指定されてから整備が進んだのかなど思ったくらい、綺麗に道が整えられていました。が、ガイドさんから、「熊野詣での道は、昔から、御幸がある度に、籠や輿が通れるように大掛かりに整備されたものだ。」と教えて頂きました。

古道の足元にはシハイスミレがあちこちで咲いて、目を楽しませてくれました。

発心門王子を出発してから途中昼食休憩を入れて約3時間後にたどり着いた熊野本宮大社では、桜の花が私たちを迎えてくれました。手前と奥と2本咲き始めていました。

 熊野にある3つの大社のうちの一つ目、本宮大社です。

日本に仏教が伝わってからしばらくすると、神と仏は融和して、神の本地(本体)は仏であるという思想が生まれ、神は仏・菩薩が人々を救うために「仮に(権に)神となってこの世に現れた」として、その神を権現(ごんげん)と呼ぶようになったとのことです。熊野3山にはそれぞれ3体の権現様が祀られています。

この本宮大社は、もともと川の中州の大斎原にあったのですが、明治22年の大洪水で流され、流失を免れた建物が今の場所に移築されたものです。江戸時代の建築とのことです。


この後、健脚の人は、大日越えの道をたどって、湯の峰温泉へ向かいました。

とっかかりの石段で見つけたのは、シロボウ?エンゴサク。この先々でたくさん見かけることができました。

 超きびしい石段の上り坂。こんな道が、これでもかこれでもかと続きました。
心臓をばくばくいわせながら、なんとか登り、下り、湯の峯温泉にたどり着きました。




長くなるので、ここで一区切り。

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2012年3月30日金曜日

熊野古道を歩く⑪その1ー台風の爪跡・・那智の滝

母が亡くなったこともあり、参加出来ずにいたのですが、四十九日も終わり、今回が最後ということで、なんとか参加してきました。
熊野古道の中辺路コースは、去年の台風被害でずたずたに切り裂かれ、山中の古道は一部まだ通れない場所もあるとのことでしたが・・・
大阪〜和歌山〜奈良の幹線道路は、復旧工事が現在進行形。




片側通行もまだたくさんあるものの、大きな車の流れは確実に取り戻されていました。


熊野那智大社から見える向かいの山にはたくさんの土砂崩れの跡が・・・
遠目には綺麗に見えている緑の山肌の部分にも、木々の足元には、外に見えない崩れがたくさんありました。

そして、ニュースで何度も取り上げられた那智の大滝は、

足元の岩が崩れ、瓦礫の山。
ちなみに、数年前の様子は、


崩れた倒木の片付けも現在進行形でした。

那智大社や青岸渡寺を訪れる参詣者の数も、少しづつ回復してきているようなのが嬉しかったです。

たくさんの人の命を飲み込んでいった土砂災害のことを思い知らされる熊野古道への旅となりました。


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2011年12月1日木曜日

熊野古道を歩く⑩(汐見峠の呼び上げ地蔵〜日限地蔵浄土寺〜藤白神社)

熊野古道歩きの続き。

古の都人が、熊野への長い旅の途中、ここで初めて憧れの海を目にした汐見峠。(今では埋め立てられ海を見ることは出来ません。)この峠に祀られているのが呼び上げ地蔵
安政の大地震の時、大津波に逃げ場を失った人々を、汐見峠のお地蔵様が、光を放って人々を呼び集め救ったと伝えられています。


ちょっと訳ありの道標。。実は一度盗まれたものが戻ってきて、再度盗まれないよう足元がコンクリートで固められているのです。この道標の隣向かいの家の人が、夜中に盗んで行くところを目撃し、車のナンバーを確認していたため見つかったとのことです。仏像などが盗まれる話が後を立ちません。哀しいことです。



 日限(ひぎり)地蔵浄土寺。長い石段をがんばって登ってきました。


石段を上がっていった所にならんでいた石碑。石には「年配の町の人なら全員が知っているという郷土の有力者」の名前が刻まれているとのこと。10人で組んで、町の文化財を守っていこうとお金を出し合って活動された人たちだそうです。ガイドしていただいた方から詳しく話を聞いたのに、しっかり覚えていなくて、ネットにどこか書いてないかと調べてみました。石に刻まれている木村平右衛門、小泉浄惠、玉置吉之丞という方についてはかかれていましたが、この活動についてはどこにも書かれていませんでした。もっとしっかり話を聞いておけばよかったと反省です。


 「手回しせねば雨が降る」と書かれた絵馬が印象的でした。家訓(社訓)だそうです。面白い話を聞かせていただいたのに、書けるほどには頭に残っていません。ごめんなさい。


祓戸王子跡。熊野への入り口として心と体を清める場所の一つだったとのこと。

ここから次の王子跡へ抜けていく林の中の小道には・・・・野仏が点在。四国88箇所巡りのミニ版として、江戸時代に作られたらしい。


最後に寄ったのは藤白神社。九十九王子の中でも特に格式の高い五体王子のひとつで、熊野詣での要所。

本堂には、熊野三山の本地仏(神の本来の姿とされる仏)が祀られていました。
千手観音、阿弥陀如来、薬師如来です。

今回の歩きでは、サザンカがたくさん咲いていました。


 みかんの代わりに、はっさく(夏みかん?)のオレンジ色が山や畑を飾っていました。


冬間近ではありましたが、心地良い22000歩の歩きで一日を過ごしてきました。お世話いただいた方に感謝です。

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